ちょこっとサイエンス

ササの実に発生した麦角(バッカク)

2003〜2004 長野県・上高地





Photo:T.Matsuo

麦角とは
 
麦角は、ライ麦、大麦、小麦等の開花期に、キノコやカビなどの仲間の子嚢菌類である麦角菌が蕾へ感染して形成されます。
感染を受けた蕾は蜜液を分泌するため昆虫が集まり、これをまた他の穂へと感染させ、果実の代わりに菌核が実ってネズミの糞や鶏の蹴爪に似た黒褐色〜濃茶色の硬化体が形成されたもの、これを麦角といいます。
漢方薬で知られる冬虫夏草もこれの仲間です。

麦角の毒

麦角菌はエルゴタミンなどのアルカロイドという毒素を産生し、麦角が除去されないまま製粉されたものを食べることで引き起こす麦角中毒は、古く中世ヨーロッパでライ麦を主食としていた地方で多く発生しました。
ちなみに、アルカロイドは一般的な山菜やキノコ中毒の時に起こる毒素で、毎年のように誤食のあるウルイ(ギボウシ・食)とバイケイソウ(毒)、フキノトウ(食)とハシリドコロ(毒)、ニリンソウ(食)とトリカブト(毒)などの毒素として知られています。
また、食糧難の戦時下・昭和18年には、岩手県知事の号令により盛岡中学校生総出動で区界峠下へクマザサの実を採取にでかけ、その後「笹の実パン」なるものが配給されたとか。
これ以後、盛岡を中心にした地域で流産が非常に高率で発生した原因を調べるうち、共通していたのは笹の実パンを食べた妊婦という点だった、という記録もあります。
ちなみに、致死量は1g。

麦角中毒の症状

急性症状:消化器症状(腹痛,下痢,悪心,嘔吐)、頭痛、灼熱感。
慢性中毒症状:血管収縮(狭窄)による下肢特に足先に壊疽をおこし、激しい疼痛を伴なう。
 痙攣など神経性の障害で、四肢の筋肉の収縮がおこり、時に永久収縮をおこす場合がある。
 また妊婦では早期流産をおこすことがある。
 さらに知覚障害、幻覚、精神障害をおこすこともある。

魔女狩り伝説

麦角中毒は中世ヨーロッパで「アントニウスの業火」として恐れられていました。

[アントニウス=3世紀半ばにエジプトに生まれた聖人で『修道生活の父』と呼ばれる。
裕福な家に生まれたが、両親の死後、財産をすべて貧者にほどこして、祈りと瞑想の禁欲生活にはいる。その生活のなかで精神、肉体上の激しい誘惑と苦痛を受ける。

麦角中毒による苦しみがこのアントニウスの受けた苦痛のようであるということから中世ヨーロッパで流行した麦角中毒が『アントニウスの業火』と呼ばれるようになった。]

また、魔女狩り伝説で知られる魔女とはいわゆる産婆のことで、医学の発達していなかった当時、陣痛促進薬として麦角を用いたり、またさまざまな薬草を利用して心身の病を取り除いていたといいます。
その薬草を採取するためには、明け方が一番薬効成分の強まることから夜中に徘徊することが多く、これも神秘的な存在として見られていたようです。
この「魔女」たちは調合する薬草の効果があればあるほど畏怖され、一方で不幸な出来事や天災さえもが彼女らの「魔術」のせいではないかと恐れられていました。
が、医学が発達するにつれ、そのマジカルな有能さを排除する動きとなって、魔女狩りと称し火あぶりなどの刑に処されていきました。

薬効作用

麦角アルカロイドの向神経作用に着目し、合成されたのがライ麦に寄生した麦角菌から得られる物質をもとにしたLSDです。LSDは視覚や聴覚の幻覚剤として知られ、非常に少量で感情、思考、知覚を変化させる強力な麻薬です。

また、麦角アルカロイドは子宮や血管などの平滑筋に直接作用しこれを収縮させます。古くからヨーロッパで陣痛促進や分娩後の子宮出血抑制に用いられていたのはこの作用を利用したものです。
さらに、80年ほど前には偏頭痛の治療薬としても導入されました。


参考文献・ホームページ等
岡山県立大学保健福祉学部山本研究室

農業・生物系特定産業技術研究機構 動物衛生研究所 安全性研究部 毒性物質制御研究室
「長野県のササ開花記録」(小山泰弘 長野県林業総合センター ミニ技術情報)
「戦時下の盛岡中学」(増田眞郎)
「頭痛大学」(温知会・間中病院)


ということで、古くからライ麦、小麦等に発生する事例は特にヨーロッパに多く見られますが、我が国でも1991年に北海道長沼町の1農家から出荷された秋播小麦品種「チホクコムギ」に発生したことが記録されています。

しかし、ササ類の感染については記録がきわめて少なく(それもそのはず、ササ類の開花自体が60年に一度と言われていますので)、以下にササが感染した麦角発見についてのレポート(2005年2月長野県林業総合センターに提出)を掲載します。

長野県上高地におけるササ果実の病変
(麦角・Ergota)
 
                                     松尾敬由(前 東京高等学校 教諭)
                                 後藤千春(東京高等学校山岳部OB会)
 
1.はじめに 
 
  ササの日常・非日常的な現象として、@開花・結実・枯死、Aササウオフシ(虫えい)、B仮称ササウオモドキ(ヒメササウオフシ虫えい)、Cテングス病(菌えい)、D開花・結実した果実の病変(麦角菌)、などが指摘できる。
  特に、@およびAについては和・漢籍の文献にさまざまな形で紹介され、近年マスコミ等で報道されたり、とみに増加している登山者やハイカーの記録の中にも記述されている。 Bについては先人の観察の目は届いていないようである。Cについては既にタケ・ササ研究の諸兄や造園関係者の間で様々な研究がなされ、広くその存在が知られているが、しかしそれも他の樹木やタケ類の報告が大多数で、ササに限定すると甚だ些少である。
  Dについて全国的に一部個体開花・部分開花・全面開花などの報告があるものの、麦角発生現象が極めて稀なため詳細な報告を聞く機会がない。
  @、A、Cについては多くの研究事例があるのでそちらに稿を譲ることにして、Dの現象について筆者らは平成15年、平成16年と2度にわたりその病変現象を目にする機会を得たので報告する。
 
2. 概要
 
 ○発見日時:
(1)平成15年9月13日 午前10時 天候:晴
(2)平成16年9月25日 午前11時 天候:晴

 ○発見場所:
長野県南安曇郡安曇村上高地 梓川右岸 村営アルペンホテルと清水屋ホテルの中間点の遊歩道際。
(1)上高地公園活動ステーション進入路付近
(2)上記より20〜30m下流

 ○種  類:クマイザサ(シナノザサ)

 ○発生規模:
(1)上記活動ステーション進入路から遊歩道に沿って下流に向かって右側(山側)に、幅2m、長さ7mの小面積で開花・結実個体があり、そのうち4稈9個体、左側(川側)に1稈1個体。(写真1)
(2)上記地点より20〜30m下流に向かった遊歩道の右側(山側)、道に沿って幅2m、長さ4mの小面積で開花・結実。
(1)より小面積であるが麦角罹患の稈数および個体数は増加しており、25稈、1稈平均10個体の麦角個数があり、全体の麦角個数としては250個体を超える数が見られた。(写真2)



写真1 (Photo:C.Gotoh)


写真2 (Photo:C.Gotoh)

3.所感
 
  上高地観光の拠点「河童橋」〜バスターミナル周辺は、毎年のように一部個体開花・ 結実があるようで、平成15年の第1回目の時にも数稈結実しており、さらに「河童橋」を渡った梓川右岸「西糸屋」周辺にも幅5m、長さ20mの規模で遊歩道に沿って結実が見られたが、時期遅れのためほとんどの果実は落下していた。
  また、平成14年9月13日、上高地から中尾峠を越える時、焼岳の展望台噴気孔周辺に少し注意すると一部個体の結実が各所で発見できるほどであったものの、麦角の発見には至っていない。
  平成16年の第2回目では、「河童橋」〜バスターミナル周辺にも一部個体開花・結実が見られたが、ビジターセンター係員は、上高地ではそのような現象は見られず、田代池の木道脇に部分開花・結実があったようだ、と報告している。
  当地のものは昨年に引き続き発見されたが、開花・結実地点が異なり、二度咲きの現象ではない。
  虫媒により感染したものだが、それにしてもササが毎年のように開花・結実することは珍しいのではないかと思われる。
 
4.おわりに
 
  平成14年の現況は不明であるが、15年につづき16年にも開花・結実に加え麦角の発生を見るにいたったこともあり、17年には同地点にどのような変化が見られるのか継続して観察し、さらに詳細なデータの収集に努めることとしたい。


(Photo:C.Gotoh)



(Photo:C.Gotoh)



(Photo:C.Gotoh)










2008 福島県・沼山峠〜尾瀬沼



2008年9月6日、尾瀬の福島県側コースである沼山峠から尾瀬沼にかけて、
オオバザサの部分開花がおよそ30カ所にみられ、そのうち6カ所で麦角の発生を確認した。

1カ所あたりの開花個体は5〜40桿ほどであり、麦角の発生はそのうち1〜5桿であった。

ただ、健康な結実はひとつも見られなかった。




健康な個体の開花






麦角@




周辺の状況@






麦角A




周辺の状況A






麦角B




周辺の状況B






麦角C




周辺の状況C






麦角に感染した芽芯


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